2017.05.24

中国の国際高校 − ⑦ -

 

Ⅶ:中国・米国大学入試の比較

 

 中国とアメリカの大学入試が同じ2014年6月7日に実施された。約940万人の中国の受験生が、中国大陸唯一の大学入学試験として、全国大学統一入試に参加したが、この入試は2日続き、9時間に及ぶ試験で、数年の苦学によって得たほぼ全ての知識を試される。大学入試期間は、試験会場周辺の(生産現場の)操業一時停止・送考車(受験生を受験会場に送り届けるハイヤー)・高考餐(大学入試時期の受験生の食事)・高考房(受験生が宿泊する部屋)が、中国特有の“大学入試現象”になっている。

 SAT(Scholastic Assessment Test)“大学能力評価試験”、通称アメリカ入試では、雰囲気は中国の大学入試のような緊張感からは程遠い。その主な原因は、SAT受験はアメリカの高校生が大学に進学する際の唯一の入学資格証ではなく、6月のSAT受験はアメリカの高校生にとってただ一度の機会というわけではないのである。

 

 試験の内容から見ると、中国の大学入試の試験科目は4つの部分に分けられる。中国語・数学・英語・文科総合/理科総合で、2日(一部地域では3日)に分けて実施される。一方、SATでは、試験科目は3つの部分に分けられる。読解・数学及び小論文で、午前中の225分で全て終了する。中国の大学入試は全国唯一の入学試験であり、考査する科目は疑う余地もなくSATよりも多い。
 この2つの入試の難易度を比較するのは、科学的な評価基準がないので、我々はここで(入試の難易度について)討論するのは控える。ただ、杜克(デューク)国際教育の《2013年中国SAT年度分析レポート》が中国の大学入試の英語及びSATとの違いを対象として分析し、“中国の大学入試が英語の知識について考査することに力を入れているのに対し、SATは言語の実用性を重視している”と指摘しているのを引用しておく。考査の重点が異なり、文化が異なり、教育体制が異なるので、この2種の試験のどちらがより難しいのか、私のように中国の大学入試に参加したこともあり、SATを受験したこともある人間にとっても、判断するのが難しい。

 

 受験勉強の時間から見ると、中国とアメリカの高校生の復習サイクルは大体同じで、どちらも10か月前後である。異なるのは、アメリカの高校教師は専門的にSAT受験のための業務を受け持つわけではなく、SAT受験は彼らの高校課程とは別ものであり、当然、学校側はSAT関連の補習課程を開設している。
 一方、中国の高校は大学入試を極めて重視しており、大学入試クラスは一般的に学校が最も経験のある教師を選んで責任を持ち、大学入試科目以外はなおざりがちになる。。

 

 大学入試が人に非難される(原因である)“一考定終身(一度の入試の成績によって入学する大学のレベルが決まり、それによって受験生の人生も影響を受けること)”も、実際にどうしようもない現実がある。
 アメリカの高校生の出願について言えば、SATの点数はほんの一部を占めるに過ぎず、高校在学中の成績と素行が一部を占め、さらには社会的実践・小論文・推薦状等その他の出願資料も含め、最後に一緒に大学の学生募集事務室に送られ審査される。推薦状について言えば、立派な経歴の、権威のある人物の推薦状は非常に誘導能力があるが、多くの出願者にとって、(そのような社会的影響力のある人物の推薦状は)偶然手に入れることがあるとしても無理に求めることはできない。
 もし我々がこのような入学出願メカニズムを中国に移植すれば、一部の受験生にとっては、部分的に競争力を強めることができるであろう。しかし、辺鄙で遠い山地で生活し、教育資源が極度に乏しい受験生にとっては、公平の原則が破壊される。それゆえ、もし中国の社会形態から出発して、この問題を検討すると、中国の大学入試はこうした子供たちにあらゆる人と公平に競争する機会を与えているのである。どのような生活環境であろうが、家庭環境に恵まれていようがいまいが、しっかりとこの機会をつかみ、大学入試でよい成績を収めさえすれば、彼及び彼女は自分が入りたいと思う大学に入学する機会があるのである。

(終)